2009年3月31日
鉱山長のひとりごと ~その15~
栃木県日光生まれの鉱山長ですが、釜石とは何かと縁がありました。
学生時代に東北を旅した際 汽車で通過したのが最初の縁です。
そして、鉱山会社に入り新入社員の冬に新規事業の手伝いで来たのが2回目でした。
この時は『万生寮』という独身寮に2ヶ月、廊下にぶら下がっているコウモリたちと一緒に泊まりました。『万生寮』は翌年取り壊されたので、先輩たちの青春の証に触れた最後の新入社員ということになります。
また、全盛期ではなかったけれど、採掘現場や選鉱場を見ることができました。
泊まることができたから、そして見ることができたから、あの時の活気をもう一度みたい、という気持ちが心の中から消えません。
次の年から別の新規事業で5年間釜石にお世話になりました。
今度は昔だったらペーペーなど泊まることができない『山楽荘』という鉱山の迎賓館に寝泊りすることができました。すごく居心地が良かったのだけれど、偉い人が来た時に街の旅館に避難するのがとっても面倒でした。
そのうち社宅が改装された『山楽荘別館』なるものができ、そこで暮らすようになりました。ベット付きの個室でしたが掛け布団がとっても重たくて、ベットからずり落ちそうになったときに引っ張り返すのが大変でした。また、壁が薄く隣の部屋のティッシュの抜く音まで聞こえるのには参りました。
その頃よく近くの共同浴場に行きました。
物凄く熱くて水で薄めてると「馬鹿野郎!このくらいで熱いなんていってどうするんだ!」っておじさんに怒られました。その脇でザブンと飛び込む少年たちがいたりして頼もしく思ったりしました。
ちょうどこの頃、隣の部署で『仙人秘水』の事業化をやっていました。
非加熱にこだわった当時の鉱山長の情熱を忘れることはできません。
しかし、私の担当した新規事業はうまくいかず釜石とお別れしなければなりませんでした。釜石に何のお役に立てなかった、その悔しさが重く心の底に残りました。
数年たってから仙台で工業薬品の営業担当になりました。
このとき、薬品の実機テストで釜石の下水処理場に何度も通いました。釜石の処理場は下水とし尿が混ざった負荷の大きい排水だったので苦労したのを覚えています。
その後、西の方にいったりなんだり釜石とは縁がなかったのですが、1年半前になんと、憧れていたかつての鉱山長と同じ役職で釜石に戻ってくることができました。これまでの思いも全部ぶつけて『仙人秘水』に全力を注ぎました。
歴史ある、そして重みのある役職で何度も押しつぶされそうになりましたが、何とかやっていくことができました。
そして、今日、鉱山長は鉱山長を卒業し釜石を旅立つこととなりました。
とても短い時間でしたが、釜石の皆さん、『仙人秘水』愛飲者のみなさん、そして釜石鉱山社員の皆さんありがとうございました。
だけど、釜石との縁はこれからもあると信じています。
また、一生『仙人秘水』を応援していきたいと思っています。
あぁあ・・・『もと鉱山長のひとりごと』もたまにはきいてもらいたいなあ・・・
とつぶやきながら『あずさ2号』ならぬ『はまゆり2号』で釜石を後にする鉱山長なのでした。
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カテゴリー:鉱山長のひとりごと、作者:kawata、コメント:
2009年3月30日
梅

梅は咲いたか、桜はまだかいな?
近所の庭に綺麗な梅が咲いてました。
釜石の桜が満開になるのは4月の下旬ころ
あと1ヶ月か・・・
wrote:m,ohta
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カテゴリー:総務課長のほのぼの日記、作者:ohta、コメント:
2009年3月27日
根浜海岸(ねばま かいがん)

今日は曇りでしたが何となく春めいてきたので、
子供達を連れて海を見に来ました。
写真に我が家の子供達が写ってます。
どこか判りますか?
(答えは、写真右側、芝生海側の屋根のあるベンチです。)
さて、ここは釜石の名勝「根浜海岸」です。
30年前は幅30m以上の砂浜が南北約2kmに亘って広がり、
夏は熱い砂浜をとび跳ねながら海に入った記憶があります。
今は防波堤が設置され、
公園とヨットハーバーをつくるために埋め立てられ
それらのせいで潮の流れが変わったのか
砂は流され、水は汚れ、当時の面影は全くありません。
とても残念です。
wrote:m,ohta
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2009年3月25日
仙人秘水仕込うどん

「仙人秘水」仕込みの「手打ちうどん」と「玉うどん」です。
適度なこしがうどんの旨味を引き立てます。
・・・すみません。なんだかうまく説明できません。
製造しているのは、市内にある川喜製麺さん
同社のポリシーは「岩手の素材の素晴らしさを麺作りに活かす」
因みに、この味は関東でも味わえます。
以下、同社のホームページから・・・・・
http://www.kawakinomen.com/index.html
でもって、下の写真は先日釜石市内の料理屋さんで出された
きし麺の様に平べったい川喜製麺さんの
「仙人秘水」仕込みうどん・・・絶品です。
「ま だ 食 い て~」(「また食べたいな!」の意味)

wrote:m,ohta
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2009年3月24日
鉱山長のひとりごと ~その14~
鉱山長は釜石と東京をしょっちゅう往復しています。
新幹線を使うと所要時間は約5時間。 早いよねえ。
汽車ができて、自動車ができて、新幹線ができて、飛行機ができて、郵便ができて、電話ができて、携帯ができて、ネットができて・・・便利になっていくにつれて仕事のスピードもどんどん速くなって、後れないでついていくのに必死です。
釜石と遠野の間に『仙人峠』という『仙人秘水』の名前に由来となった険しい峠があります。
この峠はあまりにも険しすぎて戦後しばらく間で車の道路も線路もつなぐことができなくて、みんな3時間かけて歩いて越えていました。
この頃、釜石に転勤となった新婚の奥さんは、
「なんで、こんな人と結婚してしまったのかしら・・・・」
と泣きながら峠を越えたそうです。
雨や雪の日もあるだろうし、当時の人はつらかったんだろうなあと思うと同時に、3時間黙々と歩く機会がもてるなんてちょっとうらやましい気持ちもあります。
昔の人は命がけで山を越え海を渡ったからこそ、いろんな地域や国の文化に敏感に触れ、また冷静に祖国を省みることができたのでしょう。
新幹線や飛行機で行き来する現代人には、松尾芭蕉のような感動や、岩手の偉人新渡戸稲造の『武士道』の発想は沸いてこないのではないか。
お金儲けを目的に金融工学だなんだってすごく発達して、挙句の果てにサブプライムローンやリーマンショックで世の中おかしくなってしまって、お金儲けの方法を規制しようか、という機運が世界的に高まってきています。
そういう規制も良いけれど、商用飛行機禁止とか自動車や汽車は60キロ以上出したらだめ、とかの移動手段をゆっくりにする規制(ルール)を世界共通で作ってくれたら、人々に心の余裕がうまれるのになあ・・・
って仙人峠を眺めながら、ふとそんなことを思った今日の鉱山長なのでした。
wrote:kawata
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カテゴリー:鉱山長のひとりごと、作者:kawata、コメント: